音楽図書館協議会:Music Library Association of Japan


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[インターネット情報の発信者から見た図書館への提言]
アリアドネを通しての人文系リソースの現在と未来:世界図書館

二木 麻里 (アリアドネ主宰)


はじめまして。二木ともうします。今日はインターネット上のリソースを探す際の考えかたをすこしお話しすることと、そこからさらに現在のオンラインリソースと紙の書籍との連携の動き、また図書館どうしの連携や出版界との接近といった流れをつうじて、世界各地の書籍やデジタルテクスト、書誌データなどを共有する「世界図書館」という展望をご提言したいと思います。

■インターネットで
 リソースを探す時の考えかた

 個人的にはインターネットを始めたのは比較的早く、まだワールドワイド・ウェブができていなかったころ、IIJが立ち上がる前でした。当時日本ではJUNETという実験的なネットワークがあり、企業LANなどを通してこれに接続していました。1990年代の前半に世界でさまざまなリソースが出はじめたときは、これを自宅から使えるのはギフトだと思いました。同時に自分の資料を少しずつ集めて発信すれば、自分が使える一方でほかの方も使える、そのほうが自分にとっても使いやすいと考えて「アリアドネ」(http://ariadne.ne.jp)というサイトを始めました。おもに人文系のリソースをリストしている地味なサイトです。
 具体的には、自分が使う領域の資料にインターネット特有のサーチツールを一緒におきました。たとえば、サーチエンジンをリストするようなありかたです。ご存じのように世界のサーチエンジンにはそれぞれ特長があります。たとえば、スペインのサイトを探すなら、スペインのサーチエンジンを使えばデータバルーンが小さく、より的確に探せます。あるいは音声専門のサーチや、専門分野に特化したサーチなど、さまざまなものがありますので、あわせてリストしました。

 デジタルデータの一方で、紙の資料は、やはり最も基本的なものです。書籍や雑誌など、紙の資料をインターネットから探し、使うためのツールがさまざまにできています。最近のWebcat Plusや、国会図書館の拡張サーチNDL−OPACなどもリストしておき、手軽にすぐに使おうという怠け者のサイトであります。あとはオンライン辞書や用語集、それからインターネット特有の便利なツールとして、オンライン翻訳もあります。これはURLや原文を入力すると全体の訳をつくってくれるというべんりなもので、厳密な訳でなくとも、自分にとってまったく見当のつかない言語の場合、すくなくとも英語などになおすことで、どういうサイトかという輪郭がわかります。

 リストへの掲載順は、ある分野のコアサイト、つまり、ある分野の専門家の方たちがそこへまず行くというポータルをいちばん上に掲げて、そこから個別のテーマに特化されたリソースに下りていく作りにしています。
 たとえば、ここは音楽のページです。(http://ariadne.ne.jp/music.html)いちばん上に「総合資料」、それからサーチエンジン・リンク集などのサーチツール。まずリファランスの資料ということです。そこから「日本の音楽情報」、「ツールの入手先」、あるいは「サウンドアーカイブ」、それから個別の「音楽家研究」、そうした並び方にしてあります。これは私自身が考えたというより、当時のインターネットで、比較的そうした情報の整理の仕方というのが一般的になっていたからです。

 このサイトでおこなっていることは何かといいますと、基本的に、汎用サーチでさがせないものをカバーすることです。
 皆さんが資料をお使いになるとき、まず汎用サーチエンジンを使われる方が多いと思います。それは実際、とても有効です。現在のサーチエンジンが目指しているものは、人間が集めてきた情報の感覚をどこまでプログラムでなぞることができるかということです。たとえば Google などがとくにそうですね。ここでは、ほかのサイトからより多くリンクされているページが上位にきます。すると、2,000サイトのリストがあっても、いちばん上のほうにくるのは、より有名なサイトです。これなら、ひとが手動で参照しているものに早くたどりつけるのではないかという発想をしているのですね。その意味でたいへんよくできています。

 ただ、専門的なリソースはアクセス数やリンク数で必ずしも評価ができない。それをみつけるにはどうしたらいいのかと考えると、いま言ったような、ある分野のコアサイトになるべく早くたどり着いてしまうのが有効な原則の一つだといえます。そしてコアが巨大なサイトであれば、Google などでさがすことも最近は比較的楽になってきました。するとそのあと、いかに早く汎用サーチエンジンの範囲から離れるかが、インターネットの専門情報を探すうえで大事ではないかと思います。

■コアサイトをよく知る

 検索サイトを抜ける場合、ではどういう基準が助けになるのかと考えるとき、まず発信されているサイトの種類を把握する必要があります。皆さんご存じのように、個人の方がつくってくださっているテーマ別リソースと、それからそのリソースをリストしたサイトとはことなります。これはハードディスク内に資料がおかれているものと、その資料の位置をポイントする二次データのちがいですが、もちろん必ずしも原則だけで分けられるものではなくて、相互に、ある部分がメタリソースで、別の部分はオリジナルの一次資料であったりと、多層的に重なりあっている場合も多いのです。とくに巨大なコアサイトはしばしばそうです。ほかのサイトの情報を紹介すると同時に、オリジナルの情報も発信しています。

 ですので、情報が集中している大きいサイトを詳しくしらべるのは、とても大事なことです。長くサーフをしてさまざまなサイトを探すほうが、ほしいものに行き当たるように思うのですけれど、実はそうではない。ここはという確かなサイトを見つけた場合は、まずそこを自分の情報拠点にして、そこから外へ探しに出る、そしてまたそこへ戻ってくるといいのではないかと思います。「島」のようなイメージです。

 そういうふうに使えるリストを、今、例として一つご紹介してみます。ご存じの方も多いと思いますが「アカデミックリソースガイド」(http:// www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/)という、日本のまだ若い編集者の方が一人で発信しているサイトです。メーンはメールマガジンとして、日本の学術リソースの動向や催しの予定、分析記事などを掲載している活動です。そのメールマガジンをサイト上に蓄積していくと同時に、研究者の方たちが発信しているサイトをリンクしてリストしている例です。

 ことにそうした外部リソースを、サイト単位ではなく、文献単位・論文単位でリストしていくという、私などにはとてもできないきめ細かい作業をなさっています。そして、その文献単位のリソースを図書館分類にしたがってリストしています。「生成する目録」(http:// www.ne.jp/asahi/coffee/house/BIBLIO/bibliography.html)という、文献をリストしたページでも、「総記」から始まり、各分野でどういう研究がオンライン公開されているかわかる。あるクオリティーをクリアしたもの、とご自分で収集の方針を決めてリストしているのです。いい仕事をされていると思います。

 このサイトをみると、今、日本語でどういう研究文献がデジタルで手に入るか、かなりのところまでわかります。ですから、ここから外へ出て、またここへ戻る、そういう探し方ができるサイトの一つだと思います。たとえば「図書、書誌学」をいまみてみますと、中国文献、著作権法、そうしたものがリストされています。

 このリストの場合、一つ面白いのは、なくなった発信を消してしまわないで、見え消しにしていることです。これはインターネットではとても大事なことだと思います。消してしまうと、存在した痕跡そのものがなくなってしまう。書物ですと絶版になっても物質的に残りますが、デジタルデータは全部なくなってしまうのですね。ですがこういうものが存在していたということ、それを個人の志で時間的な記録として残しているのです。大事な発想ではないかと思います。そして、これはだれでもできることです。

 また、こうした文献単位の分類と同時に、このサイトでは「データベース」という収集単位を設けて、そのリストもつくっています。データベースの定義はいま現在、まだ社会的にあいまいですけれど、データベースと言うに足りるデータベースであると、あくまで個人の方が、あえて自分の判断で選んでいる、その姿勢でクオリティーの高いリストを実現している例だと思います。

 データベース集成庫の中に入ってみると、あらかじめ図書館分類で項目を全部つくっているのが目をひきます。そこに当てはまるリソース、データベースが出てきたときにリストしていくという、非常に体系的な器をつくっています。

■自分で発信することの利点

 ですから、逆に自分が発信する場合は、いまインターネット上に何があって、何がないのかということを地図のようにまず調べてみるといいと思います。そして、自分は何がいちばん得意かということを考えて、ぜひその領域の発信を進めていただきたいと思います。つまり、まだないことをやってくださるのがほかの者にとっても、いちばんありがたいことです。それは自分自身のリソースの存在意義を、より有効に評価してもらえる方向でもあると思います。

 私たちは普段、インターネットを情報収集の手段として使うことが多いのですが、ネットには、受信と同時に自分で発信する機能があります。これは情報を探すために実はいちばん有効な手段かもしれないと思います。なぜかというと、おなじ領域に関心をもっているかたたちが集まる場になりうるからです。

 その意味でも、オンラインリソースの探し方の次の段階としては、コミュニティーという場が重要だろうと思います。ご存じのように、メーリングリストや掲示板という形式です。検索サイト、リソースリスト、コミュニティーと見てくると、あとへいくほど、プログラムから「人」に近づいてきます。最後の決め手は人というのはインターネットでも、企業でも、変わりがないのと思っています。

 掲示板というと、落書きの連続のような荒れた場を思いうかべるかたもあるかもしれません。ですが掲示板も掲示板の管理者の方のポリシーによって、まったく違ったものになります。ですからイメージを固定せず、さまざまなものを見ていただけたらと思います。また、優れたサイトを発信している方が同時にメーリングリストを主宰している場合もあります。そこではしばしば専門的で緻密なやりとりが非常にいい形で行われています。ですから、そこに入って、ご自分でも情報提供しながら、たとえば共同研究者のような人材を探していくということも大事なやり方ではないかと思います。

 インターネットでは、そもそもどういう分野の資料が発達しているのかおおざっぱに考えてみますと、たとえば最新の研究発表や論文は、しばしば雑誌に掲載されます。ご存じのようにこの多くがオンライン発信化されはじめています。テクノロジーの分野や、ジャーナリスティックな分野、学術誌。これは今の時点でデジタル雑誌のほうが先行していると思います。
 それから、国外の情報ストック。海外の論文のバックナンバーを探すような場合、日本からはかなりハンディがありました。そうしたものも、デジタルによって、紙の限界をバイパスできると思います。

 専門的なリソースの場合、英語圏がどうしても先行していまして、たとえば認知心理学(http://ariadne.ne.jp/psychology.html)の領域ですとか、医学・生理科学の領域では、紙では到底追いつかないような形のデジタル論文の巨大なアーカイビングができています。

 ざっとみわたしてまだ日本の発信がない場合もあると思いますが、この場合は自分でつくることができます。まず自分の論文や作品、研究文献をアップすることが、おそらく第一歩だろうと思いますけれど、同時に、その領域の関連作品、評論、論文・文献などを、自分で募ってアーカイブとして発信する。個人がどこまでできるかとしりごみされそうですが、じつはそうとうなことができます。個人がしたほうがいいのか、あるいはある組織がしたほうがいいのか、迷う場合もあるでしょうが、むしろ今の段階では、これができると思って、先例的につくってしまったという形のほうが、いいものができていると思います。

 いまいちばんよく知られている日本のテクストアーカイブサイトは、もしかすると「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp)かもしれません。ご存じのように、著作権の切れた作品をさまざまな方がヴォランタリーにこつこつと入力して、一か所に集めているサイトですね。逆にいいますと、こういうものができると知ることによって、組織にある方たちも目標が見えるということもあるでしょう。

 いま組織としていいリソースを発信しているところも、いずれも先見的な個人がいて、そうした優れた方が主導的におこなっていると思います。突破口をつくるうえでもとても大事なことですので、これからもぜひやっていただきたいと思います。オリジナルのソースはたいへんだとしても、リソースリスト、いわゆるリンク集などは個人が自分自身のスタートページとして活用するうえでも自然なあり方だと思います。

 それから検索サイトも、自分でつくれます。たとえば専門的なリソースリストにサーチの機能をつけた場合、十分サーチエンジンになるのです。実際に実現している方もあります。たとえば「ヒューマニティーズサーチ」(http://search.fine.chiba-u.ac.jp:8080)という個人制作のサーチエンジンがあります。歴史学や国語学・社会学などの分野で、いま日本のコアサイトといわれるサイトをロボットでクロールしていって、その情報をここで引くことができるというものです。だいたい八つぐらいのサイトに限ったサーチですが、一つずつが、それぞれの分野で定まった評価を受けていて、また分野の入り口としても機能しているため、データバルーンの情報密度がきわめて高いという発想でおこなっています。

 サーチエンジンを個人でつくるのは大変に思いますけれど、これは発信者の方ご自身にとっては、自分自身が最も効率よく的確な情報を探し出せるという意味で、情報収集と一体になっている利点があると思います。人のためにするのは大変ではないかという質問が必ずサイトの発信者にむけて出るようなのですが、必ずしもそうではなさそうです。

 ひとつつけくわえますと、インターネットのリソースは情報が玉石混淆であるし、とくに匿名であるため信頼できないという疑念もよく耳にします。よくわかるのですが、逆に匿名であるという理由でその情報を切り捨てることがはたして適切であるかどうか。必ずしもそうではないと思うのです。実際に私たちは、日ごろのほとんどの活動を実は匿名でおこなっています。匿名という言葉じたいに否定的な意味があり、何かを隠しているというイメージがつきまとうのですけれど、必ずしも自分の、たとえば生年月日や学歴や名前を名乗らなくても、私たちはふだん正常な、いいコミュニケーションをいくらでもおこなっています。つまり、わざわざ名のらないことは、むしろ日常的で自然なあり方で、そのなかで、優れたものをつくり、あるいはよい発言をしている方がいくらでもある。ぎゃくに自分自身を考えてみても、あるメーリングリストに入り、簡単に名前だけをとりあえず告げるとしても、そこから先、どのような発言をするかは、その場における人格として考えていくことになるでしょう。

 インターネットの上であれ、あるいはそれ以外の日常であれ、ある人が「何なのか」ではなくて「だれなのか」でいいと思うのです。ここでは組織名や肩書きといった、社会的位置を「何」と考えているのですが、それとはべつに、自分が「だれ」かを規定するのは本人です。どういうかたちで自己のあらわれを名のるかは自由であるべきですし、そのことによって、切り捨てたり、恐れたりするのは、むしろ危ないことであると思っています。

 さて、いま見てきたように、情報を集めて発信することには大きな利点があるわけですが、個々の発信形態を、バラバラではなく循環させることで機能を拡張させていけると思います。たとえば、メールマガジンは気軽に出していくことができると同時に、情報としてはフローです。残りにくい。また発信するいっぽうです。たとえばマガジンで提示した主題を、メーリングリストなどの場で発展させて自由なディスカッションをおこなう。そこでは相互的な議論ができ、人とつながると同時に自分も刺激を受けることができます。さらにこの議論の記録や関連文献をサイトにおくと、ストックすることができます。この場合、メーリングリストの議論に際し、最初にのちのちサイト公開することをつげておきます。そのような専門MLはよくあります。すると、このサイトをみたひとたちが、メールマガジンの講読に参加したり、メーリングリストに入会してひろがりがでます。議論からは新しい着想や問題がでてきますから、それをふたたびメールマガジンで発信していく。これはマガジンとメーリングリストとサイトをつかった、一つの循環のかたちです。大変そうな気がしますけれども、こういった活動を組にしておこなうことは、むしろ想定されている機能であると思います。全部自分でしなくていいのです。おなじテーマの活動をしている相手どうし、ゆるやかな連携をおこなっている例もよくみます。

 マガジン発信は自分のページでおこなえるのでいいというかたもありますし、メーリングリストのひんぱんな情報交換や議論が性にあうというかたもあります。サイトの緻密な管理をじつにていねいになさるかたもあります。それぞれかなりことなる性質の作業ですので、ご自分にあった発信形態からなさるといいのではないでしょうか。

■図書館:リアル館とバーチャル館のくみあわせ

 ここまで、資料をさがし、また個人で発信するありかたと、そこでの資料と思考の循環のしかたを見てきました。つぎに組織が発信するデジタルリソースとして、いま話題になっている「図書館にとってのデジタル化」を見てみたいと思います。

 今年2002年の10月に日本の国会図書館がデジタル化に向けて大きなアピールをおこなったことは、皆さんもよくご存じでいらっしゃると思います。先ほどご紹介したNDL−OPAC(http://opac.ndl.go.jp/)など、紙の蔵書を探すツールを強化したと同時に、オンラインでの独特のリソース、コレクションを発表しはじめました。現実の館(「リアル館」といっています)と、デジタル化した資料のインターネット発信による「バーチャル館」、両方を組み合わせて図書館としての総合機能をうちだすあり方は、いま世界的な流れであると思います。バーチャル館の整備は、全国の利用者、そして国を超えたグローバルな利用者に向けて対応するために、とくに各国の基幹図書館にとっては第一の課題でしょう。

 この先鞭をつけたのは米国議会図書館だったと思います。議会図書館のアメリカンメモリー(http://memory.loc.gov/ammem/amhome.html)のような巨大なコレクションでは、まずその膨大な発信量に圧倒されますが、それと同時に、きわめて特化された、紙の文献では公開されていない重要なリソースコレクションも発信しています。現実館の補助という位置づけではなく、デジタルならではのありかたをここまで追求するということが、大きなアピールになりました。

 一つの例として、議会図書館の「ハンナ・アレント・アーカイヴ」をご紹介したいと思います。哲学者・思想家のハンナ・アレントの遺族のかたがたと議会図書館が独自に契約を結び、それまで本になっていなかったリソースなどをここに収めているものです。もともと紙の文献のアーカイヴとして保管してきたわけですが、それをデジタル化したかたちでも保存し、順次公開していくという、息の長いプロジェクトです。

 アレント自身はドイツ語と英語と両方で書いた人ですが、英語だけで書かれた文献もたくさんあります。これまで公開されていなかった日誌や草稿を年代別・分野別で追っていく膨大な、そして貴重なものです。たとえば手紙や、アイヒマン裁判にかかわる草稿類もはいっています。これは議会図書館が、組織力だけではなく、志をもって積極的にこうしたアーカイブを構築し、整えてきたことが、いまデジタル化と公開につながっているのだと思います。

 それは必ずしも議会図書館のような巨大なところでなくてもできることです。アレントの資料はたしかに第一級の資産ですが、むしろ必要なのは、なにが重要であるかを考える価値観ではないでしょうか。

 たとえば日本の国会図書館が10月にオープンしたオンラインコレクション「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp)は皆さんはご覧になっていると思います。あれは大事なことで、明治期の文献をすべてネットに掲載するという公開性と同時に、日本独自の文献を発信するという意味でも重要です。たとえば来年5月にはさらに、日本国憲法の関連資料と一次文献をまとまってオンライン発信する計画があります。日本の国会図書館としてふさわしいと同時に、日本だけにある資料という点でも、世界的に意義がある。つまり独自性をしっかりうちだした例ではないかと思います。

 こうしたデジタル化、それからバーチャル館を各館が追求するうえで、世界的に見て課題と思える点もあります。たとえば、オンラインで「本」を発信する場合、多くの図書館サイトで階層が非常に深くなってしまうのです。どうしてかといいますと、本には、章、項、見出しといくつもの階層があります。オンラインサイトはもともと西洋的な書物の概念をひきついだもので、この階層構造を疑似的に模す形でプログラミングされています。このため、一つのサイトの中で本を展開すると、本の中に本が入れ子になるような事態がしばしば起こるのです。文献が何万、何十万とふえてきたとき、どうオンラインでわかりやすく開架することができるのか。これはまだ世界的に難しい点らしく、どこもあまりうまくいっていません。迷路になってしまうのです。階層の制御をどう設計したらいいかというのは大きな課題と思います。

 具体的に例をあげると、いまの日本の国会図書館のサイトも、かなり階層が深いのです。たとえばデジタルライブラリーには別のサーバーを立てていることがURLを見るとわかりますけれど、実際にここに入るには、やはり表紙からたどります。ですから、デジタルライブラリーの入り口は、ナヴィゲーション上は第二階層になります。その下の階層から簡易検索に入る。これで第三階層ですね。このあと、各分野の入り口にさらに入ると四階層目で、そのあと書物の表紙が地下五階か六階になってしまう。そこからようやく1ページずつを展開していきますから、これはたいへんに深いし、また上がってきにくい。そういうことを、どうしたらいいのか。

 部分的な解決法としては、すくなくとも全体の構造をなるべく上の階層ではやく見せてしまうこと、それから、自分が、つまり利用者が今どこにいるのかをできるだけ見せること。見通しのよさが求められます。根本的には、階層を浅くつくることが鉄則だと思います。同時に、階層を設計する際、上位概念から下位概念に移る単位をできるだけそろえることです。たとえば、2階層目が各部門のタイトルで、3階層目はその下の目次である。そうしたことがどのディレクトリーでもそろっている場合、利用側もナビゲーションしていくうち、ある程度勘がはたらくようになってくる。つまり建物と同じで、一つの階だけがすごく高くなっていたり、あるいは深くなっていたりすると、ますます見通しがつきにくいので迷う原因になると思います。

 国会図書館の場合、いくつかまだ基本的なナビゲーションのところで課題があると思うので、今後の参考として、すこし指摘させてください。たとえば、ホームページで、「資料の検索」、「蔵書の検索」、「電子図書館の蔵書」とあります。この三つはそれぞれ違う階層の情報ですけれど、資料がこのなかでどう分類されているのか、まず最初からわからない。蔵書は、もちろん資料の一部であると思いますけれど、データベースによっては、わざわざ親切に分けてある場合もあるわけです。すると、どこを見ればいいのか。そしてまた、電子図書館の蔵書は、この「蔵書」に含まれているのかいないのか、そうしたこともわからない。

 実際に引いてみますと、実は蔵書の中に電子図書館の蔵書は入っていなくて、「資料の検索」から、いくつかデータベースを連結して引けるようになっていることがわかります。ただこの下に入るとまた見出しがはっきりしていなくて、NDL−OPACという単純な検索にたどりつくまでに、事実上3階層分の移動が必要です。これはまずデジタルライブラリーとしてという以前に、サイト設計としてきわめてわかりにくい構造だと思います。

 ヴァーチュアル空間はあくまで言葉のうえで空間性をつくりだすものですので、その言語の差異が、空間のサイズや関係性をきちんと表象していないと混乱します。とはいえサイト発信と資料公開そのものはとても意義のあることです。少しずつ周辺的な問題をクリアしていって、デジタル化を進めてほしいと思っています。

■世界図書館

 冒頭で、世界図書館という大きなことばをかかげました。これは必ずしも絵物語ではなくて、近いうちに実現するであろう、おそくとも数十年以内にはできてくるであろうと思うものです。世界図書館ということはここで初めて使うもので、ネットワーク化されていくデジタルテクストと書物を一つの大きな情報構造としてとらえるための提言です。これがどのようにして可能になっていくか、あるいはこれを仮定して逆に未来から現在をみた場合、いまインターネットがどのくらいの段階にあり、また図書館がどういう位置にあるのか、それから出版界がここにどうかかわってくるのか、それを今から皆さんと一緒に見ていきたいと思います。ここまで、個々の発信事例をみてきましたが、それがすこしずつ局地的につながってくる流れがあります。これがとても重要になります。

 ウンベルト・エーコは、現在みられる大部分の通常の図書館は将来なくなるであろうと大胆な発言をしています。その理由として、一つはスペースの欠如があります。ヒストリカルな特殊な資料を持った大図書館は生き残るであろうが、通常の大学図書館・市民図書館、そうしたものは消えるであろうというのです。これは両義的な提言で、図書館そのものが消滅する可能性と、今の図書館とは違うものになるかもしれないという両方の含みを持ったものです。私は、違うものになるほうが可能性として高いと考えていますが、なぜそう思うかをみていきます。

■図書館どうしの連携

 まず、図書館どうしの連携がすすんできました。その例をあげてみます。世界図書館というものを考えるうえで、それぞれの館がどういう役割をそこで担うのか。分散化を徹底した場合、一つずつの部分が特化するということにつながります。つまり、一つの館が、その館でなければできないことを担当することによって生き残ることができるし、貴重なものであると認識されると思うのです。いま言ったエーコの言葉、スペースがなくなるし、普通の図書館はなくなるであろうということの裏側にあるのは、変わる必要がある、ということではないでしょうか。ほかの図書館と違う、この館だけにできることはなにかを考え、新しいやり方に変わっていくことはできる。またオンラインを利用したありかたで、ほかの館と連結することの意味が出てくる。独自性はひとつの鍵だと思います。

 一つ一つが特化していくというのは、具体的にどういうことができるのか。ドイツの場合をみてみようと思います。

 以前ドイツのオンライン文献を探していたとき、どうしても見つからなくて、なぜだろうと不思議に思ったことがありました。ドイツは欧州のなかではインターネットが発達したのがかなりはやく、ないはずがないと思ったのです。そのうち、文献をデジタル化してアーカイビングしていく「グーテンベルク・ドイツ」(http:// www.gutenberg2000.de/autoren.htm)という民間のプロジェクトがふいにみつかりました。そして、ドイツ語のオンラインテクストはそこにほとんど集約されていることがわかったのです。4、5年前のことです。

 当時、日本でもいくつもの小さなデジタルアーカイブがべつべつに立ち上がっていく時期にありました。この傾向は英語圏でもおなじで、動きがバラバラだったのです。ですからあるオンラインライブラリーが持っているものを、ほかのライブラリーも持っていたりして、重複がある。あまり効率がよくないのです。ですがインターネットの自然な流れとしてはそうでした。ところがドイツの場合は、早い時期に一つの場所に情報を集約することで、重複を避けることに成功しているのがよくわかり、とても印象的でした。

 グーテンベルク・ドイツはヴォランティアのかたがたがされているデジタルテクスト・ライブラリーの連携事例です。ですが同時にドイツ図書館という国の組織のがわでも、べつのかたちで連携がおこなわれていました。

 ドイツ図書館は、ご存じのように、ドイツの図書館の中央館であると同時にドイツの各地の図書館を束ねる活動をおこなっています。たとえばドイツの各地域では、各館がデジタル化のコレクションを現在推進しており、ドイツ図書館はこれを調整する役割をしています。

 どういうことかといいますと、ある館は自分たちの地方の歴史的な詩歌を集めた古文書をデジタル化している。べつの館は地図をデジタル化している。われわれの館はこれをデジタルコレクションすると宣言するのです。ただ、どこもユニークなことをしたいのと同時に、希望が重なっている場合も多く、けんかにならないよう調整するのは大変だとドイツ図書館ではいっていました(笑)。そうしたかたちで、ドイツ全体の資料のオンライン化をうまく組み合わせながら牽引していく役割を積極的におこなっています。

 ただ、先ほど申しあげた「グーテンベルク・ドイツ」のような民間のプロジェクトと、図書館のプロジェクトのあいだには、まだ連携の橋が架かっていません。図書館のかたに水をむけてみましたが、かなり抵抗がある表情でした。ただこういう一つ一つの動きが、なんらかのかたちでいずれつながっていくと思います。というのは、すでに高いクオリティーで実現されている領域は、プロフェッショナリティーを追及した場合、避けるしかないからです。ですからこれまでのネットのリソースの発達のしかたをみても、自然と相補的になっています。それぞれの国内の統合がさらに世界的にむすびついて、文献の統合化がすすんでいく。そのことが、ドイツの例などを見るとかなり現実味を帯びてきます。そもそもグーテンベルク・ドイツという名称は、アメリカのプロジェクト・グーテンベルク(http://promo.net/pg/)のドイツ版ということです。運営組織はことなるのですが、理念を共有しているのです。

■新聞・雑誌・書籍・インターネット  有料と無料のあいだ

 さて民間ライブラリーどうし、公共図書館どうしの連携の動きと同時に、図書館と出版界のすき間を埋めるようなかたちも、インターネット上でさまざまに見られるようになってきています。今の社会的な枠組みでは、図書館がおこなうことは出版社にはできないし、出版社のおこなうことは読者にはできないという意識がありますが、それが少しずつ変わってきている。皆さんも感じていらっしゃる点ではないかと思います。

●新聞
 たとえば新聞という、非常に更新が激しいオンライン情報の分野があります。多くの新聞を読めるいっぽう、多すぎて、また情報のスピードがはやすぎて、自分で追えないということが生じています。これを埋めるような機能として、個人のニュースクリップができていました。さらに先ごろ「Google ニュース」(http://news.google.com/)が立ち上がりました。これは世界各地のオンライン新聞のニュースクリップですが、これまでと違うのは、自動的に編集・生成されている点です。Google本体は先にご紹介したように、有名なサイト、有力なサイト、さまざまにアクセスされるサイトが優先されるプログラミングを組んでいます。そのプログラミングをニュースの分野に応用したものです。

 世界的に有力なニュースリソースの中から、この記事が重要だと自動的に判断したものをGoogleが自動編集して出してくる。おそろしいほど強力な情報編集機能です。そしてさらにおそろしいのは、実際にニュースを読む側からみて、かなりうまく機能していることです。このサイトを見ると、もうほとんど手動のザッピングは必要なくなると思うほど、よくできています。4,000のソースから自動編集し、ほとんど15分単位で更新されてきます。ですから、どんどん動いてしまうニュースでもありますが、すくなくともこのサイト一つをみればいいのです。
 そういうものが無料で読める。出版社みずからはこうした事業をおこないません。ところが世界の動きを追うという機能からみた場合、まったくべつのかたちで統合がはたされているのです。そして有料と無料の間というものも、これまでになく非常に速い速度で進んでいる。インターネットは、ある意味で現在のような超高度資本主義のあり方に非常に合っていて、それを加速する動きがあると思います。ある分野に投資をおこなって、しかし直接そこで回収できなくてもいいという領域、つまり有料と無料の間のグレーゾーンが非常に大きく発達しています。その動きの中に、インターネットの機能が非常にうまくはまっている。またインターネットによって、グレーゾーンがますます拡大されていることを強く感じます。

●雑誌
 一方で、新聞ほど速くはありませんけれども、やはり一定期間たつとバックナンバーを探すことが難しかった雑誌の領域について、英語圏で「記事のデジタル提供サービス」ができています。現在の雑誌記事のリソース自体がデジタル化されている状況を利用したサービスです。図書館単位で有料で契約していらっしゃる場合も多いと思いますが、ここでは個人で手に入るものをご紹介したいと思います。

 「ノーザンライト」(Northern Light)(http:// www.northernlight.com/)という英語圏のサイトがあります。以前はサーチエンジンでしたが、汎用サーチとしての機能を捨て、スペシャルコレクションなど、それまで蓄積したきた特殊なコレクションのサービスに特化したサイトです。ここの「コンテンツ・ソリューションズ」では7,000を超すしっかりした雑誌や新聞のリソースと契約をしています。学術誌や一般誌に掲載された記事や論文を探すことができます。じつにさまざまな分野がカバーされています。

 探してみて、のぞみの論文があった場合は、有料でデジタルで送ってくれます。1本4ドルから5ドルなど、かなり安価です。ずいぶんオーセンティックなソースも入っているので、これまでにないかたちで雑誌の入手が可能になりました。こうした個人向けの地道なサービスは、資本を回収するにはとても難しい領域かもしれませんが、ここで直接利益が上らなくてもいいという体制を築くのは不可能ではないとわかります。

 これは雑誌の「デジタル抜き刷り」とでもいえるものです。日本でもこういうものができたらと、つくづく思います。少なくとも本文を入手できなくても、記事の見出しが公開されているだけでも変わってきます。ひとつの専門誌の目次が継続してデータベース化されていれば、カタログ上で探すことができます。そういう意味で、たとえば個人や図書館ができることの一つが、ここに示唆としてあると思います。自分に関心のある雑誌の記事目録を継続してサイトに掲載し、それにみじかい紹介がついていたら、とても貴重です。Googleニュースなどをみると、いまや個人でできることは何なのか、なにもないのではと一瞬呆然とするのですが、いくらでもあると思います。

 もちろん記事目次公開は出版社自身にもおこなってほしい領域です。自社の雑誌の記事目録のような地道な作業は負担ととらえるところが多いでしょうが、じつは自社にとってそういうデータベースが完備されているのは重要だと思います。短期的にみても、編集方針をふりかえり、企画をたてる点でいきてきますし、バックナンバーの注文にもつながります。

●書籍
 さてつぎは書籍です。今のように新刊の発行点数が増えている場合、書籍もかなり雑誌に近い流通状況で、絶版が多いことは皆さんご存じと思います。その書籍類を図書館経由で、あるいは直接個人にむけて、デジタルで提供するというサービスがアメリカではじまっています。四つ、おもしろい特徴があります。これまでにも出版社が「デジタルブック」といった販売の仕方をしてきましたが、それとちがい、多くは専門の中間業者です。これが第一の特徴。

 また第二は、ヴォランティアのオンラインライブラリーともちがうことです。古典をだれかが無料で入力してサイトにおくというのではなく、著作権のある書籍を有料で提供しています。
 第三に、これまで出版社がおこなってきたエンターテインメントとはことなる領域の人文書があつかわれている。

 ある意味で本を売るわけですから、オンラインの「書店」といってもよさそうなサービスですけれど、どれも「ライブラリー」という社名やイメージを打ち出しています。これが第四です。図書館向けのサービスが多いせいもあるのでしょうけれど、サイトのつくりのうえでも静かな感じで、どちらかというと、「ここへ来れば本が読めます」というオンラインライブラリーにちかい演出をしているのが特徴です。

 ここでご紹介するのは「クエスティア」(http:// www.questia.com/)というサイトで、図書館との契約だけでなく、個人で文献が買えるサービスの一つです。これまでにも類似のものがありましたけれど、ここができたときは驚きました。なぜかといいますと、もちろん著作権のある本を扱っているのですが、書目のリスティングが非常にしっかりしていたからです。ある分野の基礎になるような文献をきちんと押さえようとしていて、体系だっていたのです。

 いいかえれば、それまでの、たとえば「プロジェクト・グーテンベルク」のように、著作権が切れていて、そしてみんなが好むであろうものを入力しているのとは明らかに違う形、学術的な使用にたえるリスティングをしていた。なぜこういうことが可能なのかクエスティアに尋ねましたら、サーチャーの中に司書を何人も入れて、そのかたたちが本選びをし、デジタルの形で提供できるようにしているのだということでした。そうだろうなと納得しました。

 同時に、出版社がわが、なぜそれで契約を受け入れたのかも不思議でした。出版社は紙の本に対し、最終的な形式として強い愛着をもっています。なにより商品です。デジタル化に対していちばん抵抗の強い領域のはずなのです。「クエスティア」の社長の方も、やはり説得は大変だったといいます。ただ、自分たちがめざす方向において、どの本が必要かをまずリストアップしてみた。そしてその刊行状況を調べてみると、基本書の多くが絶版であることがわかったのだそうです。そこで出版社に交渉していくうえで、今はあなた方の本は絶版だけれど、私たちと契約をむすぶことで、ページビューごとに、わずかでも著作権料がはいる。増刷をせずに継続して収入を得る道になる。だから契約すべきだと説得したという話でした。とても「教育的なプロセス」だったそうです。

 クエスティアは一昨年ごろに始まったばかりです。まだ蔵書数7万と小さいのですが、このクオリティーを保って拡張していった場合は、これまでにない、従来の図書館と出版社との間を埋めるようなサービスになって発展していくだろうと思います。アメリカの例ではありますが、出版社と図書館との巨大な溝と(いまのところ)思われているものが、実はそうではなくなりはじめているちいさな兆しの一例だと思います。

 ほかにも、いくつか類似のサービスがあります。たとえば「イー・ライブラリー」などもそうです。ここも個人で購入ができ、ニューズペーパー、マガジン、それから本も扱っています。「イー・ライブラリー」の場合、いちばん強い分野は新聞だと思います。数は1,000紙くらいですがローカルニュースなども入れているので、普段はなかなか探しにくいものが探せると思います。やはりフリートライアルがあって、1本単位で本などを購入することができるサービスです。

 また図書館向けに本をデジタルで納入する動きも、これと並行してすこしずつのびてきています。ランダムハウスのような大出版社もこのビジネスに乗り出しています。公共図書館がこうしたサービスと契約し、館に訪れた利用者に対してデジタルで提供するというサービスが広まりはじめています。

 これから先、類似のサービスをおこなう場合には演出が重要になってくると思います。これは図書館の場合も同じで、専門図書館あるいは専門のライブラリーサービスとして、どういうラインナップを打ち出すかを考える必要が出てくるだろうと感じるからです。たとえば、先ほどの「クエスティア」の場合、理工書はあまり扱っていません。それも面白かったのです。というのは、理学関係のほうがデジタル化ははるかに進んでいたからです。人文系はすくなかった。それだけに、先行する意味があったと思います。

 「クエスティア」はテーマ別での書籍紹介などもしています。たとえばアフガンの歴史や女性研究など、書名だけではなく、領域別、あるいは司書のかたがとらえた切り口で文献を探せるようになっている。たとえば「シェイクスピアにおける音楽」というテーマもたてられています。本格的に使える論文がこうしてきちんと演出されている。1冊1冊の文献の意味がちゃんと理解されている。そういう信頼感があって、利用者としてもうれしい面でした。
 こういうありかたは本当に初めてで、これまでなかったものです。わたしは「クエスティア」のかたに、日本版をつくりませんかとお尋ねしてしまいました(笑)。つくりませんか、というより、ぜひつくってほしかったので聞いたのですが、まだ日本語を読める司書がいないのでむずかしい。でも、やる人があったらうれしいとのことでした。どなたかぜひ考えてみていただけたらと思います。

 多くの分野で、こうした新しい動きが出ています。書店ともちがうけれど、もちろんアマチュアライブラリーでもない。あるプロフェッショナリティーを持って、デジタルテクストと本のあいだをつないでいる。けれども、そんなに利益はあがらないだろう。商業と非商業のあいだという意味でも、興味深いと思います。エンターテインメントだけではなく、地道な人文書がデジタルサービスにのりはじめているのは、これまでの営利追求とことなる流れができているしるしです。

●インターネット
 こうしてすこしずつ書籍もデジタルアーカイブの形式をとりこんでいるわけですが、同時にインターネットそのものがアーカイビングの対象になっていることを皆さんご存じと思います。インターネットが情報のフローとしてだけでなく、プールとしても機能しはじめている。これまで、インターネットの情報は生まれてすぐに消えてしまう、どれほど広域な情報を集めても、時間軸上の情報が蓄積されないことが大きな欠落点だといわれてきました。これをおぎなうために、世界各地でさまざまなアーカイビングがこころみられはじめています。

 さきほどGoogleの話をしましたが、Googleの「キャッシュ」という機能をご存じでしょうか。数十億のページを丸ごとアーカイビングして、それをキャッシュというかたちで蓄積し、公開しています。すでに消えてしまった情報がここには残っているため、あるサイトがちょうどスリープにはいっている場合でも、時間をさかのぼって参照できるようになりました。(ついでに実用的な面で便利なのは、この機能ではキーワードがハイライティングされてくることです。カレントのアーカイビングでは、このハイライトはありません。小さなことですが、長い文献の中で、あるキーワードを探していく場合、とても助かります)。

 また図書館でもオンラインリソースをアーカイビングする事例がふえていることはみなさんご存じのとおりです。たとえば日本の国会図書館が挑んで、まだうまくいかなくて悪戦苦闘している「ワープ」という事業もそうです。日本発信のオンラインリソースをまとめてアーカイブすることで、消えていくものも保存しようというこころみです。ただ、著作権などの許可を得るので非常に難航したようです。関係者のかたにお話を伺いましたら、政府関係のサイトが保存を了承してくれなかったとおっしゃるので愕然としました。ですから、まだまだ時間はかかると思いますが、たとえばJPなどナショナルドメインのサイトをすべてアーカイビングするような事業は、現実的によその国でも検討されています。オーストラリア図書館、デンマーク図書館なども、国内のウェブアーカイビング事業にのりだしています。

 もちろんオンライン・リソースを収集していくことに関しては、図書館のかたがたは非常に慎重であるし、微妙な立場です。図書館ができないでいるうちに、Googleのような民間企業が一気に30億ページのアーカイビングを達成してしまう可能性はあります。いま現在、Google はまだ一部のアーカイビング資料しか公開していませんけれど、あれが時間軸上を遡行して全部公開された場合は、そこで済んでしまうということも起こるはずです。
 ですが、必ずしもそれが図書館の存在理由を脅かすものではないと思います。ライブラリアンの判断力は大きな資産ですし、図書館がおこなうという公共性が重要な意義をもつ場合も多いからです。たとえば去年アメリカ議会図書館が民間企業と提携して実現し、話題になった「9.11アーカイブ」があります。これは9.11テロにまつわるリソースを議会図書館の名前で網羅的に収集し、ローカルのハードディスクにおさめて公開しているものです。直接発信者の許可は取っていません。異議があれば掲載をとりやめます、というただし書きを付けて、フェアユースの範囲で公開しています。ただ、発信者の抗議があれば取り下げるという掲示に対して、いや、取り下げる必要はない、ぜひ入れてくれ、うれしかった、という声のほうがはるかに多かったといいます。これに近い発言はGoogleの関係者にもありました。むしろ賛意のほうが多いという事例です。重要なことだと思います。

 著作権という言葉があちこちでちょっと呪文(じゅもん)のようになっている気配がありますが、著作権があるものはいっさい手がつけられないと一律に思い込むのではなく、著作権の範囲を厳しくしようという動きの一方で、フェアユースの流れを太くしていくはたらきかけをおこなうのはバランス上大事だと思います。図書館の場合、具体的には納本制度を拡張することでデジタルデータに対応できるありかたが検討されていますね。そこにはいま考えられているよりも広い可能性があると思います。

 こうしてみると、図書館と民間企業の距離も縮まってきています。たとえば議会図書館の場合、「9.11アーカイブ」を実際に構築したのは民間企業です。ただ、民間企業であると同時に、公的な活動をおこなうための助成金が出ているのです。先ほどの「クエスティア」というライブラリーの場合もそうで、民間企業であると同時に、教育的な分野に貢献しているということで、企業や財団からかなりの寄付を得ています。営利を第一義としないこと、いわば、もうかりませんと宣言することによって、資本を得ることが可能になるという、逆説的な現象が起きています。

 日本の国会図書館の場合も、本格的なウェブ・アーカイビングをおこなう場合、あるいはDnaviのようにデータベースリストをつくる場合、本当はヤフーのような企業と提携するほうが、はるかに現実的だろうと私は思います。いま現在、壁があって難しいということはよくわかりますが、ほかの国の先行例としては近いことが起きている、それも指摘しておきたいと思います。

■デジタルデータを紙にもどす機能と、データ連結のうごき

 いま見てきたように、さまざまな領域の紙の資料をデジタルで保存する、あるいは公開するうごきがある一方で、そのデジタル情報をふたたび紙に戻す技術が注目されています。たとえばプリンターの高性能化や、それをさらにおしすすめたオンデマンド印刷がそうです。オンデマンド印刷についてはいまのところ図書館より出版社のほうが、小部数だけ刷れるということで現実的に考えている場合が多いと思います。たとえば絶版になった本をデジタルで提供するだけでなく、それをもう一度部分的に印刷して提供することで、新しく利益を得ることも可能になりやすい。

 この抜き刷りや簡易印刷としての機能を考えた場合、実は出版社だけではなく、図書館にも応用できると思います。各館の蔵書や新聞記事、雑誌記事といった資料目録が図書館どうし連結されていって、保管している担当館がそれぞれはっきりしてきた場合は、デジタルデータを送って、別の図書館でプリントアウトして提供することが可能になります。

 これに近いことをすでに考えているかたがあります。ジェイソン・エプスタインという、アメリカのペーパーバックにかつて革命を起こした有名な出版人です。クオリティー・ペーパーバックという考えかたで、ペンギンブックなど簡単な装丁でありながら、高い質の古典作品をペーパーバックで売り出すことを初めておこなった人です。その方が考えているのは、書店にオンデマンド印刷機を置くというアイデアです。そこで一部だけプリントする。ですから、書店は、そこで本のプリントを待っていると同時に、みんなで集まっておしゃべりをしたり、作家もぶらりと来るような、そういう場所になるであろうということをおっしゃっています。

 これに近いことは図書館でもできます。というよりむしろ図書館のほうが現実的ではないかと私は思います。印刷された書物の最終クオリティーはそれ自体が一つの文化です。現時点で可能なオンデマンドプリントは、コピー機の延長にある機械で、決してクオリティー重視のものではない。あるいは将来的に考えても、人の手をへない自動印刷であることが旨ですから、本質的に機能性がさきにたつものであると思います。

 オンデマンド印刷の機械は、銀行のATMのようなものを想像していただくとわかりやすいと思います。コーナーがあって、そこに入ると、マシンの後ろに紙が蓄積されていて、印刷機がある。そこで本が印刷されて製本され、目のまえにコトンと落ちてくる、そういうものです。

 大企業が製造した巨大なオンデマンド印刷マシンでなく、もっとちいさなものを実際に開発している方がすでにあり、そう遠からず実現するだろうと思います。実際に、いま駅の改札でも、改札機にはプリンターが入っています。出札駅は全部プリントされてカードの裏に印刷されてきますね。銀行の通帳記入機もそうです。オンデマンドプリントに近いシステムが、もうできているのです。あとは最後に紙を束ねる形で出力してくることができれば、本はその場で印刷できます。あるいはあらかじめ束ねてある紙に印刷できればいいのです。

 そのために何が必要かといいますと、やはりまず統合された書目カタログです。それからデジタル化された内容データです。このカタログが詳細化されると、たんに絶版を復刊するというかたちで今とらえられているオンデマンドのサービスは、実は新しい本をそこで編集し直すことが可能なサービスになります。つまり、自分自身のアンソロジーを選び、この記事とあの記事を全部合わせて1冊にしたい、これをその場で印刷してしまうということが十分に現実的になります。

 こうしたことを考えあわせると十分、世界図書館という機能はありうるし、あるいは実際に実現されるだろうと思います。各国の図書目録が連結され、オンラインテクストのライブラリー群のカタログが連結され、書籍の最終データがデジタルで提供されてくる。モロッコの著作物を東京で印刷できる。一冊の書籍の各国語版を追跡できる。書物がグローバルな移動性を獲得します。

 ではそれは、どういうプロセスでできていくのか。だれか強力な提唱者や、カタログ統合のための国家間契約といった全体的なシステムが必要ではないかという気がしてきますが、そうではないだろうと思います。これは局部的な小さなつながりがすこしずつ重層的におきていって、できると考えるほうが現実的だと思うのです。

 世界図書館はどこかにできるものでもなく、だれかが作るものでもなくて、無数の個人や、一つ一つの図書館、あるいは出版社がこつこつとちいさなこころみをおこなうこと、あるいはそれぞれの力を自然に補っていくことで、徐々にあらわれるだろうと思っています。

 たとえば、今後つよまるものに図書館と個人の連携があると思います。図書館としてはおこなえないけれど、個人であればできる、あるいは個人としてやったほうが速いことがあります。詳細な目録を作成する作業は図書館の中では人手が足りない、あるいは予算が足りないという場合でも、ボランティアの方に参加していただく形で実現する場合はあるのではないでしょうか。それは「青空文庫」のようなかたちを見ていても、十分可能だと思うのです。たとえば、インターネット上にあるすべてのデジタルテクストの連結目録を、ヴォランティアの方々が作り上げていくようなことがあるかもしれません。

 そしてさきにのべたように、図書館同士でも連携のうごきがでていました。日本でもリファランス情報を連結していく事業を国会図書館がおこなっています。もちろん民間企業が、そうしたリファランスを国会図書館よりも早く実現するという見通しもあります。それはかならずしも悪いことではない。

 また図書館員のかたがたが個人としてつながる動きもあります。図書館員としては責任が取れなくても、個人として対等のかたちでメーリングリストのようなものをつくることで、お互いが情報交換をしたり、あるいはディスカッションをしたりする。図書館員のヴォランティアだってあるでしょう。

 出版界でもそうです。自社の刊行物リストを詳細につくって公開していくことは、将来きっと重要になります。出版社と図書館のリストがつながれば、穴のない書目リストができます。雑誌や新聞社もそうです。ことに記事単位の目録があれば、ずいぶんちがいますね。ある一つの図書館が、ある過去の雑誌の記事に特化して完璧な目録をつくるといったこともできるでしょう。各館の作業の重複を減らし、組織的な目録をつくっていくことは模索されていると思いす。

 専門図書館の連結という可能性を考えた場合、大原社会問題研究所がおこなっているような、労働問題に関連する特化した圧倒的なデータベースが参考になると思います。長い期間をかけて継続的な蓄積をおこなうことで可能になった例だと思います。後発の館はこうした先行プロジェクトの存在をふまえたうえで具体的な専攻領域を模索していくことになると思います。

 もちろんこうした動きを意識することは義務でもなんでもありません。ただ、くりかえしになりますが、こうした動きがすすんでいったときに、自館の存在意義がどこにみいだせるかを考えることは大切だと思います。なにかに特化したスペシャリティーをそなえるのは、ますます重要になるのではないでしょうか。

 印刷で紙に戻す場合のチャージの方法など、こまかな未知数は無数にあります。有料と無料の境目はどこになるのか。著作権を厳密に考えていくと、たいへん難しいところではあるのですが、少額課金が以前よりははるかに発達しはじめていることを考えると、図書館のオンデマンド印刷の抜き刷りについても、ページ分だけ出版社と著者に印税を払うような方向は技術的に可能になっていくと思います。

 ここ数年の例を見るかぎり、状況は案外、急速に動きます。あれほど抜き刷りを嫌がっていた出版社が、合同でそうした実験をするようになっている(笑)。資源がどう使われるかはかならずしも出版社側が決めることではなくて、私たち読み手や、そこに介在する図書館が動いていくことで、たくさんの提言ができると思います。

 それぞれの分野で、現実的に非常に難しい課題があります。けれど今の枠をいったん外して考えてみることで、まったくちがう図書館像も考えられる。それに、どこかでこういうものがあったらいいとすなおに思えるものは、決して夢ではなくて実現しうるのだと思います。

(ふたき まり)

( この稿は2002年11月21日東京国際フォーラムで開 催されたMLAJ研究セミナー2002の基調講演です。 )

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