音楽図書館協議会:Music Library Association of Japan


Music Catalog Clinic

カタロガーの判断 :音楽目録 Q & A 


MOUG(OCLC音楽ユーザーの会)ニュースレターに連載中の「ジェイ・ワイツのQ & A」が、2004年、単行本として出版されました。
1989年から2002年までのQ&Aをほとんどすべて収載した大部な本(xxvii, 265 p.)です。スティーヴン・ライトの紹介文とジェイ・ワイツの序文は、音楽目録の仕事と、仕事に対するカタロガーの思いをいきいきと語っています。日本と米国で国こそちがいますが、AACR2とMARCフォーマットを使って楽譜やCDの目録を作る音楽カタロガーの気持ちには共通したものがあるように思い、著者、出版社の許諾を得て、MLAJホームページに掲載することにしました。

Cataloger’s Judgment :Music Cataloging Questions and Answers from the Music OCLC Users Group Newsletter / Jay Weitz.
カタロガーの判断 : 音楽目録Q & A : OCLC音楽ユーザーの会ニュースレターより / ジェイ・ワイツ


翻訳: 国立音楽大学附属図書館 伊藤陽子 (MLAJ目録委員)

本書に寄せて 

スティーヴン・ライト

 かれこれ20年くらい前、私はインディアナ大学の図書館情報学スクール[SLIS修士コース]に入学して音楽図書館の世界に足を踏み入れた。当時の私は、自分がカタロガーになるとはまったく思っていなかった。右も左もわからない新人とはいえ、図書館員がどんな仕事をするか、私にそれなりの考えがなかったわけではないが、目録という業務はその頃の私のレーダーにまったく映っていなかった。その後、メンター[一対一の指導教官]や仲間から音楽図書館界の実態を聞かされ、目録のスキルを持たない音楽図書館員はほとんど就職のチャンスがないという現実を知り、私は音楽カタロガーとしてキャリアを積んでいく道を選択したのだ。ところが、就いてみたらこの職業、あまり心地よいものではなかった。おわかりいただけると思うが、私の行く手には、何やら恐ろしいものが立ちはだかっていた。そう、英米目録規則第2版という恐ろしいものが。畏敬と恐怖を呼び起こすそのパワーたるやすさまじく、まるで「2001年:宇宙の旅」に出てくるあの不可思議な一枚岩の、幅広で焦げたオレンジ色のバージョンを手にしているような気がした。
 
 2,3学期ほど先のコースを取っている先輩に、「君はきっと自分のAACR2が買いたくなる」と言われ、私は素直に従った。目録課程が始まる前、パラパラとページをくってたちまち私は圧倒された。規則の量が尋常でないし、文章もなにやら妙だ。Title(タイトル)、place of publication(出版地)、edition (版)など、よく知っている語句のあいだにstate of responsibility(責任表示)、title proper (本タイトル)など、気分が悪くなるほど仰々しい句がちりばめられていて、まるでボルヘス語だ。最初はなぜこれほど多くの規則が必要なのか、理解できなかった。そのうち、この規則は目録作業中にカタロガーが遭遇するであろうすべての場面をカバーするように作られていることがだんだんわかってきた。しかし、現実にこれで何か一つでも解決するのだろうか、と大いに疑問だった。目録規則全体は見通しのきかない鬱蒼とした森のようで、規則一つひとつはまったく同じ調子で表現されている。これは重要とか、これはほとんど使わないといった指示は一切無かった。

 さらにまずいことに、私の持っていたのはクラスメートから買った古本だった。大学の書籍売店で、まっさらな新品のAACR2を買った学生たちがどんなにうらやましかったことか。彼らは、目録規則が聖書やロゼッタストーンと同じく静止した存在であるという幻想に浸ることができただろう。たとえそれがつかの間の幻想だったにせよ。しかし、私の持っている規則ときたら、あちこち細かい文字で修正が書き込まれ、ところどころ、コピーした紙が貼り込まれていた。苦悩の中で、私はこれがすべて改訂であることを理解した。出版されてまだ数年しか経っていないのにこれだけの量の改訂! 誤植を正し、正誤表に従って修正したというなら、理解できる。しかし、書き込まれている改訂はそんな風に見えなかった。明らかに意図的、恣意的なもので、どこかに気まぐれな神様がいて、カタロガーなんぞに楽をさせてなるものか、と考えているとしか思えなかった。

 幸いなことに、インディアナの目録指導役の下、とりわけラルフ・パパキヤンとスー・スタンクの手あつい保護の下、私はこの規則と、規則に負けずおとらず不可解なMARCフォーマットの取扱い方法をゆっくりと学んでいった。最初予想したとおり、規則には、音楽目録をとる上で、欠かすことのできない重要なものと、ほとんど無関係なものが混じっていた。私にとって、カタロガーの仕事に文体的要素があるというのは嬉しい発見だった。つまり、AACR2は無味乾燥な選択肢を並べただけだが、実際の目録作業においては、達人カタロガーが巧みの技を発揮することもできるし、私のような新米でも一所懸命探してみると、まねしたくなるような芸術的表現が見つかる、というようなことが次第にわかってきた。
 
 このように徹底した訓練を受けたにも関わらず、音楽目録専門職に就いてすぐ私は悟った。驚くのはこれからだと。血の通っていないAACR2の理屈ではとてもたちうちできない複雑怪奇な事態が次々と出現した。たとえば、およそ折りあいがつくと思えない複数の「出版年」、互いに矛盾する「別の形のタイトル」、デュオフォニックなどという奇怪な専門用語など。インターネットも電子メールもないあの時代、私はひとり孤独にこうしたヘンテコなことと格闘して、解決策を――さぞかしおかしなものもあっただろう――日々ひねり出していた。しかし、ついにある日、私はびっくりするほど便利で実用的な情報の泉に行き当たった。OCLC音楽ユーザーの会 Newsletter掲載コラム 「ジェイ・ワイツのQ & A」という泉だ。私は日頃常套句を使わないことを誇りとする人間だが、しかしこのコラムは、まさに「宝の山」だった。

 およそインパクトのないタイトルからは考えられないほど、ジェイのコラムは使いやすく、有益だった。コラムの基本は単純明快。私のような現場のカタロガーが音楽目録とデータ入力に関する疑問をジェイに送り…ジェイがそれに回答するというものだ。彼の答えは、AACR2 やLCRI1[議会図書館目録細則]の事務的・形式的な発言とちがって、親切で、気さくで、この人は自分たちの仲間だと感じさせるものだった。その上、ジェイの説明は簡潔・明瞭のお手本だ。質問がおそろしくあいまいでも(そういうケースはよくあった)、ジェイの調子にあいまいさは露ほどもなかった。

 それから間もなく、私自身が、北イリノイ大学(Northern Illinois Univ.)の音楽図書館員として、イリノイ州のOCLCユーザーグループが主催する一連の音楽目録ワークショップで教える立場になった。そして、このワークショップをはじめてまもなく、私はもう一つの悟りを得た。世の中には、私が参加しているような大会に一度も出席することなく、私が受けたような専門的訓練を一度も受けることなく、ただ黙々と働く音楽カタロガーが五万といるのだ。近郊の公共図書館、コニュニティー・カレッジ[地域の短期大学]、小規模私立大学で働くカタロガーたち――音楽カタロガーとして就業したわけではないのに、音楽目録業務を引き受けざるをえない人たちのことだ。彼らはかつての私と同じ境遇にあった。みな、どこから、なにを始めてよいか見当もつかないのだ。そこで私は、必要な実際的スキルを身につけてもらうため、彼らにジェイのコラムを読むようあれこれしむけた。数あるジェイの回答の中から、とりわけ洞察力あふれる答え(特に問題のある出版年を扱ったものなど)を選んでコピーを配ったり、MOUG Newsletterを定期購読すれば、年に三回はジェイの智慧の恩恵に浴すことができると勧誘してみたりした。

 その後、私はOCLC音楽ユーザーの会の議長を務めることになった。自分の任期中に目指した目標の一つが、“ジェイ・ワイツのQ & A”を編纂して出版することだった。長期連載コラムに蓄積された知識は、各地の音楽カタロガーにはかりしれない価値をもたらすと、私は確信していた。同時に、ニュースレターのような、言わば一過性のものに載っていては、せっかくの知識が永久に埋もれたままになってしまうという想いにさいなまれもしていた。最初は自分達で編纂することを考えたが、コストの点から手が出せず、次に連載を全てウェブ上に公開することを検討した。残念ながら、私の任期中には実現しなかった。しかし、この考えが私の任期後も引きつがれ、そののち場所を得たことは喜ばしい。

 あなたの手元にある本は、実に驚くべき資源――音楽目録のホントの現場と向きあうなかで蓄積された資源である。規則を説明するためにひねり出された例文集などとはまったくちがう。もしあなたがカタロガーなら、ジェイ・ワイツのこの本を身近に置いていただきたい。きっと頻繁に利用されると確信している。もしあなたがカタロガーでないなら、おもむくままにページをくって、ジェイのみごとなまでの明晰さを楽しんでいただきたい。読み進むほどに、「カタロガーとは、利用者のことなどまったく考えない、ユーモアのセンスのかけらもない、世間知らず」という世間の誤った共通認識から解き放たれることだろう。それどころか、カタロガーたちが日々対峙する難問への理解を新たにし、巧みの技でさりげなく難問に対処する彼らに感謝の念をいだくようになることだろう。

H. スティーヴン・ライト
北イリノイ大学
パブリックサービス副部長

翻訳許諾について:
Cataloger’s Judgment / Jay Weitz. Copyright c2004 by Jay Weitz . Greenwood Publishing Group, Inc.の許可を得て掲載します。なおこの翻訳のWebsite掲載許可は2006年11月27日から5年間有効です。




カタロガーの判断: 案内にかえて

ジェイ・ワイツ

歴史を少々
 どこのどなたが、MOUG NewsletterにQ&Aを連載するよう勧めてくれたのだろう。残念ながら、もはや歴史に埋もれてしまった。少なくとも私の記憶にはない。しかし、いつどこで正式提案されたかは、連載第1回にしっかり記録が残っていた。1989年3月、クリーヴランドで開催されたMOUG/MLA(OCLC音楽ユーザーの会・音楽図書館協会大会)でのことだ。こんなアイディアが出たのは、メンバー全員疲れていたせいに違いない。というのは、歴史上、MOUG大会がMLAの前でなく、後に開催されたのはこの年だけだからだ。あれ以来、MLAの後にMOUG大会が開催されたことは一度もない。

 コラムの発案者は歴史に埋もれてしまったが、コラムをまとめてなにかの形で出版しようと言いだした人物ははっきりしている。H. スティーヴン・ライトである。MOUG研修担当(1990-1992)、副議長/議長予定者(1997-1998)、議長(1998-2000)、前議長(2000-2001)を歴任した彼が、コラムをまとめることを、最初に、そして一番大きな声で提案した。スティーヴのような音楽図書館界一、辛口ユーモアの持ち主の場合、本気か本気でないか見きめるのはなかなかむずかしい。コラムを本にしたい――少なくとも娯楽本として出版の価値がある――と彼が言いだした時、100%本気というわけでないことはすぐわかった。しかし、100%ふざけているわけでもなさそうだった。これは彼一流の控えめなほめことばだった。

 1990年代後半、MOUG理事を務めていた時期、スティーヴは質問集の出版について何度も意見を出した。ついに、MOUGはこれを自分たちで出版すると決定し、整理・編集・索引作りのボランティアを募った。マシュー・シーヒが本文担当に選ばれた。

 それからまもない2001年8月のある日、私はボストンでIFLA大会に出席した。そこで、Libraries Unlimited社ブースに立寄って、OCLCの元上司、マーティン・ディロンと話す機会があった。マーティンがLibraries Unlimited社の非常勤・買収担当理事かなにかをしていた関係で、なんとなくMOUGのQ&A編纂の話になった。マーティンはLibraries Unlimited社で出版することに興味を示した。
 
本文の整理
 明けて2002年、マシューと私は(非常に正直にいえば、ほとんどマシューが)、早速コラムの整理に取りかかった。初コラムが掲載されたMOUG Newsletter39号(1989年5月)までさかのぼっての作業だ。その昔、質問はみな電話や手紙で届いた。ワークショップや大会のQ&Aコーナーで出されることもあったし、書誌レコード、典拠レコードの修正依頼としても届いた。私の記憶が正しければ、当時の図書館界では電子メールはほとんど使われていなかった。しかしまもなくメールが主流の時代がやって来た。

 MOUGではすでに何年もこのコラムの編纂について話しあっていたが、いつも議論になったのが、全部載せるか、選択して載せるか。もう一つが並べ方で、問題別にするか、時代順にするかだった。マシューと私もこの議論を続けた。電話やメールでやりとりし、一度はマシューがOCLCに訪ねてきた。誰もがパッと納得できるような理屈にかなった整理方法などあるわけがない。二人ともそれはわかっていた。同時に、なにをどう選んだとしても、全員満足するはずもない。これもわかっていた。結論として私たちは、Q&Aを(まちがいだらけでどうしようもないごく少数以外)すべて掲載することにした。配列は大きく問題別とし、その中は最近のQ&Aを先に、古いものを後に並べることにした。先頭に最新の議論を持ってくる。古い経緯を知りたい人には、下に並ぶ昔のQ&Aを読んでいただくという考え方だ。こうすれば、目録に関する質問への回答を載せた「実用的ツール」を求める人々のニーズも満たし、動乱時代における音楽目録進化の流れを映す「歴史的文書」を読みたいという人々の願いにもこたえられるだろう、と考えたわけだ。

 私は最初から予測していたし、はじめてまもなくマシューも気づいたことだが、この整理には避けられない問題がいくつかあった。一つは、数あるQ&Aの中にはどのカテゴリーにもおさまりきらないヤツが必ずいるという問題。もう一つは、コラムを一定期間読み続けた読者はみなご承知のとおり、私自身が自作を何度も盗作するコリないヤツだという問題である。できれば弁解にとらないでほしいが、これにはわけがある。似たような質問が何度でも送られてくる。同じ問題が何度でも起こるからだ。そこで、答えが変わらない場合、私は昔の回答から何度でも自分の文章を盗用した。規則改訂、MARCフォーマットの変更、新しい技術やらなんやらで、答えが変わった時は、古くなった答えを更新の踏み台として利用した。

 歴史的ドキュメント保護の観点から、Q&Aに手を加えるのは最小限にとどめた。その結果、本書には、時代遅れの技術、新しいものに差し替えられた文書や参考文献指示、古い形の標目、廃れたURL、かなり昔に変更された書誌レコードや典拠レコード、いにしえの規則、古くなって今は使わない方法などの類がたくさん見つかることをご理解いただきたい。LCCN(議会図書館番号)に添字と現在使用せずという改訂情報がつけられたものも出てくるし、現在、MARC21として知られるものが、かつてUSMARCという名称で呼ばれていたことにも気づかれるだろう。いずれ公表すると約束したのに結局日の目を見なかったタスクフォース・レポート、公式ガイドライン(例えば、標準的「スコア順」の規定、Enhanced CD(CD-DAとCD−ROM共存規格)の扱いなど)に言及した箇所も見つかるだろう。これらは、目録業務における幻の商品とでも言おうか。
  
 いくつかの箇所は、私自身が修正し、説明の注をつけた。もちろん、誤った回答が後々の号で修正された場合は、まちがった回答のすぐうしろに修正文を並べた。一つだけ、246フィールドとその使い方――総合タイトルがない場合の最初の異形タイトル――についてお断りしておかねばならない。私は長い間あやまって理解していた。これについては、(書誌レコードと私自身を今日まで苦しめ続けている)私の誤解を永久保存することはやめ、最初の間違いを注記に記録し、それ以後の回答はすべて訂正した。
  
 これらはみな、音楽目録という私たちの職業がいかに動的なものかを示す指標である。Q&Aが連載されてきたこの年月、幾たびとなく技術は変化し、CDがレコード盤を圧倒し、フォーマット統合が行われ、知識のあらゆる領域に電子情報が入りこんできた。こうした変化に追いつくために、目録規則と書誌フォーマットはどんどん変更され続け、そしてその変更に追いつくために、私たちもまた懸命な努力を繰り返している。

カタロガーの判断: 考え方として、タイトルとして
 MOUGが本書編纂の可能性について話しあっていた当時、スティーヴ・ライトが遊び半分で「ジェイ・ファイル」と言い出した。当時人気のあったテレビ番組のパロディーだ。テレビ番組はともかく、パロディーには感心した。しかしそんなタイトルは、おこがましくてつけられるはずがない。それに、この種の実用書にはもっと内容がわかるタイトルのほうがふさわしい気がした。マシューといっしょに本文編纂作業を続ける間、私はこれだとひらめく瞬間を待ちながら、Q&Aを何度も読みかえした。しかし、おもしろくないタイトルを5つか6つ、書き出しただけに終わった。

 2002年7月、シカゴでMOUG理事が集まった。土曜日の夕食の席上、スティーヴン・ルットマン(当時MOUGj事務局/ニュースレター編集長)が、ふと「カタロガーの判断」ということばを口にした。おなじみフレーズだ。だが聞いた瞬間、探していたタイトルはこれだとひらめいた。実をいえば、私はこの言い方を長い間大切にしてきた。この言葉は、目録の仕事が科学より芸術に近いという考え方を鮮明に表現している。また、カタロガーが自らの作業を体系化しようと日々努力しても、現実の世界がその努力をはるかに飛びこえている構図とあざやかに描きだす。目録が対象とする世界は、あまりに広大で、あまりにつかみにくく、あまりに予想を超えている。だからこそ、私たちの解決には、いつも個別の判断が入りこむ。そしてこのことばは、日頃周囲から心を持たぬ単純労働者と見られているカタロガーが、実は、記述とアクセスに関して複雑な物事を深く考える「判断の人」だということを示してくれる。

 多くのカタロガーと同じように、私は、目録活動を統治している規則に常にこだわり、時に規則を高く評価しすぎる傾向にある。しかしその一方で、私は規則を曲げ伸ばしして、新たな、予測もしなかった事態に適用させることに深い喜びを感じる。実は、規則の構造中――たとえば「疑わしい場合は」「適切な場合は」など異なる選択肢が示されている場面に――、カタロガーが判断しなければならない瞬間がたくさん組み込まれている。「カタロガーの判断」とは、文章化された規則と、どうしようもない現実の間にはさまれた「あそびの部分」である。このあそびの部分において、AACR2やMARC21の命令が、目録のやりがいや喜びと交差するのだ。同じように、本書「カタロガーの判断」が、業務と娯楽の間に息づく欲求を満たすものになれば幸いである。本書を娯楽本と誤解される方はいないだろうが、目録の謎に取りくんでいて、――特にやっかいなCDの――あなたを悩ませていた疑問の答えが見つかった時、謎と一緒にあなたの心も解けて、ほほえみが浮かんだとしたら、これにまさる喜びはない。

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翻訳許諾について:
Cataloger’s Judgment / Jay Weitz. Copyright c2004 by Jay Weitz . Greenwood Publishing Group, Inc.Westport, CTの許可を得て掲載します。なおこの翻訳のWebsite掲載許諾は2006年11月27日から5年間有効です。
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